「構造的な減少」の行方
IEAはかつて、石炭需要の減少は一時的なものではないと説明していた。
エネルギー市場・安全保障局長の貞森恵祐氏は2023年の報告書で、当時の減少局面について「今回は違うように見える。クリーンエネルギー技術の力強く持続的な拡大に支えられた、より構造的な減少だ」と述べている。
その見立てが、3年で反転した。今年の消費量は前年比1.2%増となり、需要のピークはさらに先送りされる見通しになった。
クリーンエネルギーの拡大が止まったわけではない。止まっていないのに石炭が増えたところに、この数字の厄介さがある。
ホルムズ海峡から発電所まで
引き金は中東である。
ホルムズ海峡を通る原油とLNGの輸送が断続的に妨げられ、天然ガスの価格が跳ね上がった。ガスが高くなれば、火力発電の燃料としての石炭の競争力は自動的に上がる。
電力会社は理念で燃料を選んでいるわけではない。同じ1キロワット時を作るのに安いほうを回す、という運転上の判断が世界中で同時に起きた結果が、この89億トンである。
エルニーニョによる気象要因も重なった。猛暑と寒波はどちらも電力需要を押し上げ、余裕のない系統では真っ先に石炭が焚かれる。
中国の消費量は約1%増えて50億トン規模に達し、インドは4.2%増の13億5300万トンとなる見通しだ。日本、韓国、欧州にも石炭へ戻る動きが出ている。
日本の請求書はすでに動いている
この話は抽象的なエネルギー論ではない。
9月使用分から、大手電力10社すべてが電気料金を引き上げた。都市ガス大手4社も同様に値上げしている。東京ガスの標準家庭の料金は5744円で、前月より307円高い。
燃料価格が家庭の請求書に届くまでには、3か月から5か月の時間差がある。7月のLNG輸入価格は5月より1割ほど高い水準だった。つまり今払っている金額は、夏の相場を反映したものにすぎない。
さらに、電気・ガス料金の補助は10月検針分をもって終了する。値上がりと補助の打ち切りが同じ季節に重なる。
「脱炭素の遅れ」ではない
この状況を、各国の気候政策が後退したせいだと読むのは実態とずれる。
政策目標はほとんど変わっていない。変わったのは、代替燃料の値段と、それを運ぶ海峡の安全度である。
裏を返せば、ガス価格が落ち着けば石炭需要は再び減少に向かう余地がある。今回の記録更新は、脱炭素の潮流が折れたというより、その潮流が地政学の振れ幅に対してまだ脆いことを示している。
再生可能エネルギーの導入量が積み上がっても、需要のピーク時間帯を埋める役割は化石燃料に残る。そこが変わらないかぎり、揺り戻しは繰り返される。
家庭にできる範囲の話
料金の水準そのものは個人の手が届かない場所で決まる。ただし、時間差があるという性質は使える。
補助が切れる10月以降は、契約プランの見直しが検討に値する時期になる。時間帯別料金や燃料費調整の上限設定は各社で条件が違い、使い方によっては効く場合がある。
冬の暖房は電力需要の山を作る側でもある。断熱や設定温度といった地味な手当てのほうが、料金プランの変更より効き目が大きいという指摘もある。
石炭が89億トン燃える話と、自宅の請求書の話は、思っているほど遠くない。
まとめ
- IEAは今年の世界の石炭消費量を過去最高の89億4000万トンと予測し、直前までの微減予測を上方修正した
- 主因はホルムズ海峡の輸送障害によるガス価格の高騰で、脱炭素政策そのものの後退ではない
- 燃料価格が家庭の請求書に届くまでには3〜5か月の遅れがあり、日本では10月に補助終了が重なる



