20歳、東大2年。動機は「彼氏と結婚するため」
起業の理由が、経営書のどこにも載っていない。
当時の彼氏が「起業しかできない出(で)」の人間だった。だから会社をつくった。社長を彼女がやったのも、思想的な理由ではない。
広告費がなかったからだ。
「女子大生社長」という肩書きなら、メディアが勝手に書いてくれる。実際、彼女は自分でプレスリリースを書き、自分を「美人女子大生社長」と称して記者会見を開いた。
事業はNTTのダイヤルQ2。100回線の抽選枠を、学生を個人名義で大量に登録させて押さえるという、いま聞くとかなり際どい手で相当数の回線を確保した。
初年度売上、約10億円。
売上の6割が、ある日消えた
崩壊も一瞬だった。
ダイヤルQ2がアダルトや2ショットの社会問題に巻き込まれ、NTTが旧型交換機からの接続を止めた。売上の6割が消えた。
同時に支払いサイトが2ヶ月から4ヶ月に延びる。
さらに、湾岸戦争のさなか、元彼氏が会社の金で金(ゴールド)の先物を買って溶かしていた。
事業は徳間グループへ営業譲渡。100人いた社員のうち、移籍できたのは20人足らずだった。
玉置本人は、新会社にいちばん下の総務として入る。21歳。机を拭き、お茶を淹れ、コピーを取る日々が始まった。
銀行の支店長に「ソープ行ってこい」と言われて、本当に面接に行った
このくだりが、この回のいちばんの山場かもしれない。
返済を迫る銀行の支店長に、そう言われた。彼女は実際に面接に行き、給与の提示を書面でもらってきて、支店長の前に置いた。
銀行は、黙った。
一方で、日雇いのマッチング事業をやっていた大西という人物は、200万円の発注に対して2000万円を振り込んできた。
追い詰める人と、黙って背中を押す人。同じ状況に、両方いる。
熊谷正寿が出した、3つの条件
24歳のとき、GMOの熊谷正寿と出会う。
熊谷は、新聞で彼女の記事を読んだことが起業のきっかけのひとつだったという。
残っていた5000万円の負債を、熊谷が肩代わりする。条件は3つだった。
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| ① | 24時間365日働くこと |
| ② | 自分(熊谷)を世界一にすること |
| ③ | 自分の前でタバコを吸わないこと |
最初の仕事は、レブロンから化粧品ブランド「プリンセス・マサコ・ボルゲーゼ」の日本法人を買うことだった。10億円の赤字を抱えたブランドである。
平均年齢40歳、真っ赤な口紅で腕を組む女性40人の組織。彼女は全国の百貨店カウンターに自分で立ち、通販とエステで利益構造を組み替え、1年で黒字にした。
人生を変えたのは、コーヒーポットの映像だった
Mac Classicの画面に映っていたのは、アメリカの研究室のコーヒーポットを定点で映すWebカメラだった。
「電卓の向こうにアメリカがあった」
そこからインターQが生まれる。CD-ROMを入れて0990にダイヤルすれば、契約もなしにつながるISP。匿名で使えるという性質から、アダルト層に爆発的に広がった。
サルのロゴは、予算がないので彼女が自分で描いた。
インターQはのちにGMO(グローバルメディアオンライン)になる。彼女は1998年の上場直前に会社を離れた。父親が癌になったからだ。父は1年もたずに亡くなっている。
「20年早い」を、繰り返してきた人
20代後半、GMO株を手にセミリタイアする。六本木と渋谷で遊び、1年で飽きた。
次にやったのが、おそらく日本初のアダルト動画配信サイト。回線が細すぎて、画面には「グラデーションの肌色の四角」しか映らなかった。
板倉雄一郎のハイパーネットも、この時代の話として出てくる。世界初の広告モデル無料ISPで、ビル・ゲイツが「いくらだ」と聞きに来た会社だ。
破綻後に書かれた『社長失格』の版元・流通を担ったのは、玉置の会社だった。板倉が個人破産していたからである。彼女はビットバレーのイベントで自らこの本を売った。
日本には成功譚しかなく、失敗の記録がなかったから、というのが理由だ。
なぜ占いだったのか
ザッパラスの主軸を占いにしたのは、好きだったからではない。むしろ嫌いだった。
待受や着メロはIPの都合で動く事業だが、占いは違う。生年月日と名前と悩みが手元にある。顧客起点で商品を設計できる。
だが、やっているうちに動機が変わっていく。
月額300円のサービスは、高額商法をする占い師の商圏を壊す。占い師は自分の鑑定手法をコンテンツ化でき、体調を崩しても収入がゼロにならない。
そして、上場企業と契約している事実があることで、占い師はクレジットカードを作れるようになり、住宅ローンを組めるようになった。
「彼が私に連絡をしない理由」といった、異様に粒度の細かいメニューを何百も作った先にあったのは、業界の地位向上だった。
コピー機が吐き出していた「第三者割当のご案内」
三木谷浩史が投資した経緯が、あまりに偶然だ。
渋谷で時間が空いた三木谷が、ふらっと立ち寄る。玉置は昼食で不在。応接テーブルの横のコピー機が、たまたま「第三者割当のご案内」を出力していた。
戻ってきた彼女に、三木谷はこう聞いたという。
「第三者割当やってやるの」「いくらまでだったら出していい」
彼女は投資家に「上場はしません」と言い続けていた。それでも三木谷は出した。
孫正義とすれ違った話、南場智子や高橋広敏(のちのパーソル社長)と同じ学生団体にいた話、夏野剛のiモード立ち上げを手伝った話。1990年代日本のインターネット黎明期の人脈が、雑談の温度で次々に出てくる。
「女性起業家」と呼ばれることを、拒み続けた
20歳以降、彼女はメディアに顔を出していない。SNSも1年前にXを始めるまでやらなかった。
理由は、女子大生社長時代の撮影現場にある。
「上目遣いで」「唇を舐めて」
経営者として扱われた記憶がない、と彼女は言う。30歳から10年間、化粧をやめた。「女性起業家」という括りの会には出なかった。
そして今、あのとき声を上げなかったことに罪悪感がある、とも語っている。
4社目は、キャリアの逆転を売る
現在やっているのは「ヒトハタ」というキャリア逆転塾だ。
年収300〜400万円層に向けて、ロジカルシンキング・タスクマネジメント・コミュニケーション・AIの4科目を3ヶ月、毎週1on1つきで教える。
10億円を作って失い、7億円の負債を背負い、上場企業を23年経営した人が、いま教えているのは基礎の4科目である。
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こんな人に観てほしい
| 時間帯 | 内容 |
|---|---|
| 冒頭〜 | 20歳での起業、女子大生社長というポジショニング |
| 中盤 | NTT規制での崩壊、総務への降格、借金返済 |
| 中盤〜後半 | 熊谷正寿との出会い、インターQ・GMO誕生 |
| 後半 | ザッパラス創業、占い事業、上場、三木谷投資 |
| 終盤 | 女性起業家という括りへの違和感、4社目の話 |
3時間ある。だが飛ばすところがない。
失敗の記録が圧倒的に足りない、という板倉雄一郎への彼女の問題意識は、そのままこの動画自体に返ってくる。
成功したから語れる話ではなく、全部失ってから戻ってきた人にしか語れない話が、ここには入っている。
自分が20歳のとき、7億円を背負って机を拭けただろうか。
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