その「5%」は、なぜ80%の顔をするのか
きっかけは、Xで静かに広がった一つの投稿だった。DeNA創業者・南場智子の組織論を紹介したものだ。
要旨はこうだ。問題を言語化すると、全体のうち5%ほどの話が、80%くらいまでこしらえられてしまう。だから課題を抽出するだけでなく、良いところにも同じだけ目を向けないといけない。
読んで、ひやりとした人は多かったはずだ。心当たりが、ありすぎる。
実態としては小さな綻びだったものが、口に出し、文字にし、議題に載せた瞬間、まるで組織全体を覆う病巣のように見えてくる。あの感覚には、ちゃんと名前がついている。
脳は、悪いニュースを5倍の音量で聞く
心理学者ロイ・バウマイスターらが2001年に発表した論文のタイトルは、身も蓋もない。「Bad Is Stronger Than Good」ーー悪は善より強い。
社会心理学で最も引用された論文の一つである。彼らが膨大な研究を横断して導いた結論は明快だった。同じ大きさの良い出来事と悪い出来事を比べると、悪いほうが心に残すインパクトは、およそ5倍。
これは気分の問題ではない。日常の出来事、人間関係、受け取るフィードバック、学習のプロセス。あらゆる領域で、悪い情報のほうが深く、長く処理されることが確認されている。
なぜか。おそらく、生き延びるためだ。茂みの音を「ただの風」と侮った祖先より、「猛獣かもしれない」と身構えた祖先のほうが生き残った。脅威に過剰反応する脳が、現代の私たちにも引き継がれている。
つまり、5%が80%に見えるのは、誰かの心が弱いからではない。人類共通の、脳の仕様なのだ。
「課題抽出」という名の、増幅装置
ここに、もう一つの仕掛けが重なる。言語化、である。
頭の中でモヤモヤしていた不満には、輪郭がない。だが「これは課題だ」と言葉にした瞬間、それは確かな形を持つ。議事録に残り、付箋に書かれ、スライドの箇条書きになる。
一度かたちを得た問題は、ひとり歩きを始める。次の会議でまた読み上げられ、別の不満と結びつき、いつのまにか「うちの組織の構造的な問題」へと育っていく。
5倍に増幅して受け取る脳に、言語化という固着装置が加わる。5%が80%に化けるのに、これ以上そろった条件はない。
誤解しないでほしい。課題を出すこと自体が悪いわけではない。問題を直視しない組織が伸びるはずもない。危ういのは、課題抽出「だけ」をやることだ。悪い面だけを、よりによって脳が5倍に増幅するチャンネルで流し続ける。それはもう、現実を映す鏡ではない。現実を歪める拡大鏡だ。
強みから入る組織は、本当に伸びるのか
南場が言う「良いところにも目を向ける」。これを方法論にまで昇華させた人たちがいる。
1987年、ケース・ウェスタン・リザーブ大学のデイヴィッド・クーパーライダーらが提唱した「アプリシエイティブ・インクワイアリー」がそれだ。日本語にすれば、価値を認める問いかけ、とでもなる。
発想は、まるごと逆転している。「何がうまくいっていないか」ではなく、「うまくいったとき、何が効いていたのか」から始める。
| 着眼点 | 欠陥起点(課題から入る) | 強み起点(成功から入る) |
|---|---|---|
| 最初の問い | 何がうまくいっていないか | うまくいったとき何が効いていたか |
| 会議の空気 | 防御的・犯人探しに傾く | 探索的・当事者が前のめりになる |
| 集まる情報 | 不満と言い訳 | 再現したい成功条件 |
| 人を動かす力 | 恐れ | 希望 |
机上の理想論ではない。ある実験では、この手法を受けたグループは、そうでないグループより、課題遂行を含むほぼ全指標で高いスコアを出した。ギャラップが49,495の事業部・約120万人を対象にした調査でも、従業員エンゲージメントの高い組織は売上、利益率、定着率で明確に上回っている。
問いの入り口を変えるだけで、会議に出てくる情報の質が変わる。不満と言い訳の代わりに、再現したい成功条件が並ぶ。
ただし「ポジティブ何対1」という神話は崩れている
ここで、よくある勇み足に釘を刺しておきたい。
「ポジティブとネガティブは2.9対1が黄金比」。一時期もてはやされたこの数字には、実は根拠がない。2013年、研究者のニコラス・ブラウンらが土台となった数理モデルの誤りを指摘し、提唱者自身が撤回した。黄金比など、存在しなかった。大切なのは比率の精度ではなく、悪い面だけを見ないという視点のほうだ。
科学を装った数字ほど、人を安心させる。だからこそ、撤回された数字を引きずらないことが、この話を誠実に扱う最低条件になる。
では、明日の会議で何を変えるか
仕様がわかれば、付き合い方は設計できる。難しいことではない。
- 課題と「効いていること」を、同じ会議で両建てする。どちらか片方だけの議題にしない。
- 課題には「全体の何%か」を必ず添える。体感ではなく分母を言語化して、5倍の増幅を打ち消す。
- 問いの入り口を変える。「何がダメか」より先に、「先週うまくいった一つは何か」を全員に聞く。
- 言語化した問題には「再現したい成功例」をセットで残す。付箋を、悪い話だけで埋めない。
どれも、特別なツールはいらない。問いの順番と、視線の配分を変えるだけだ。
終わりに
冒頭の会議室に戻ろう。
「課題を全部出そう」。その一言は、間違ってはいない。ただ、その言葉を発した瞬間、部屋の空気が5倍に増幅されることを、リーダーは知っておいたほうがいい。
いま出てきた不満は、本当に組織の80%を占めているのか。それとも、5%が80%の顔をしているだけなのか。
それを見分けられるかどうかに、たぶん、チームの未来はかかっている。
出典・参考
- 南場智子に関するX投稿(@momoka_teramoto による紹介投稿)
- Baumeister, R. F., Bratslavsky, E., Finkenauer, C., & Vohs, K. D. (2001). "Bad Is Stronger Than Good." Review of General Psychology.
- Cooperrider, D. L., & Srivastva, S. (1987). "Appreciative Inquiry in Organizational Life."
- Gallup, "State of the Global Workplace"(エンゲージメントと業績のメタ分析)
- Brown, N. J. L., Sokal, A. D., & Friedman, H. L. (2013). "The Complex Dynamics of Wishful Thinking: The Critical Positivity Ratio." American Psychologist.


