「閉まった」のではなく「8割に絞られた」
ホルムズ海峡が完全に閉鎖されたわけではない。この点を最初に確認しておく必要がある。
イラン側が管理する海域を通過するタンカーの数は、4月以前の通常水準と比べ8月中旬時点で82%前後で推移している。残り18%がどこへ行ったかといえば、喜望峰経由に転換したか、積み替えを経由しているか、あるいは計画自体がキャンセルされたかだ。
ホルムズは1日あたりおよそ1,750万バレルの原油・石油製品を通過させている。18%の減少は日量315万バレルに相当する。世界の消費量の約3%が、常に迂回または消滅している計算になる。
この数字は「少ない」ようにも見えるが、市場の反応は違う。原油は長期契約とスポット調達を組み合わせて購入されており、スポット市場に出てくる量はそもそも全供給の一部にすぎない。スポット市場での数百万バレルの減少は、価格への影響が需給の規模から想像されるより大きく出やすい。
備蓄は「あるが使えない」状況
米エネルギー省のクリス・ライト長官は8月18日のブリーフィングで「IEA加盟国との備蓄放出の協調について検討している」と述べた。ただし「規模と時期は精査中」という表現にとどまり、具体的な実施を確約するには至らなかった。
IEAが加盟30カ国に要請しているのは、合計4億バレルの戦略石油備蓄(SPR)放出だ。国別の割り当てはまだ協議中とされているが、過去の放出事例を参考にすれば米国が全体の3〜4割を担うとみられている。
ただしSPR放出が市場に届くまでには時間がかかる。放出の決定から実際の出荷まで、米国の場合は最短でも2〜3週間かかるとされている。さらに中東から日本、韓国、欧州に届くまでの輸送日数を加えると、実際に末端の精製設備に届くのは意思決定から1〜2ヶ月後になる。
この「時間のズレ」が問題だ。IEAが今警告を出した理由の一つは、秋冬の需要期——北半球で暖房需要が増す10〜11月——に間に合わせるためには今動く必要があるという判断だ。
| 指標 | 数値 | 備考 |
|---|---|---|
| 米国商業原油在庫 | 2億9,700万バレル | 40年ぶりの底水準 |
| 世界在庫(IEA推計) | 7億9,000万バレル以下 | 平時比▲6日分相当 |
| ホルムズ通航量 | 通常の82% | 日量▲315万バレル |
| ブレント原油 | 87.3ドル/バレル | 前週比+4.2% |
| IEA要請備蓄放出量 | 4億バレル | 国別割り当て協議中 |
喜望峰回りの「算数」
話をタンカーの物流に絞ると、状況の本質が見えてくる。
ペルシャ湾からスエズ運河経由でロッテルダムに向かう場合、航路は約1万1,000海里だ。ホルムズが詰まって喜望峰回りに転換すると、これが約2万6,000海里に伸びる。2倍以上の距離だ。
タンカーの速度は一般的に12〜15ノット程度。喜望峰回りにすると輸送日数は2〜3週間余計にかかる。この間、タンカーは「浮かぶ在庫」として海上に滞留する。
現時点での「洋上浮遊在庫」の推計は約3億5,000万バレルだとされている。これはIEAや業界調査機関が衛星データと船舶追跡情報を組み合わせて算出した数字だが、この分は先ほどの「在庫2億9,700万バレル」には含まれていない。
つまり、洋上在庫まで含めれば実効的な在庫はもう少し多い、という読み方もできる。ただしその在庫は「すぐに陸揚げできない」という意味で、急増需要への対応力は低い。在庫の「数字」と「使える供給力」は別物だ。
日本に届く「2ヶ月遅れ」
日本は原油輸入の9割以上を中東に頼っており、ほぼすべてがホルムズを通過する。タンカーの迂回は「可能だが、コストと時間の面で現実的でない」。
ホルムズ危機が家庭の電気・ガス料金に波及するまでのタイムラグは、おおよそ2ヶ月とみられている。4月の通航量削減が家計に届くのが今夏、8月の状況が届くのが10月以降という計算だ。
東京電力ホールディングスは8月の電気料金を前月比1.8%引き上げた。この上昇分はまだ4〜6月分の仕入れコストを反映したものだ。現在のホルムズ状況は、まだ今夏の請求書には十分に乗っていない。
製油所の調達担当者の多くは「前払い契約でヘッジしているが、スポット調達コストが跳ね上がっている」と話す。アジア向け中東産原油のスポットプレミアムは例年の1〜2ドルから4〜5ドル程度に広がったとされており、これが秋以降の消費者物価に上乗せされていく。
在庫数字が「停戦時計」を代理する
ホルムズ情勢では、政治・外交のニュースより在庫・物流データのほうが早く実態を映すことがある。
外交のチャンネルは発言が慎重で、「交渉の進展」という情報は実際の合意まで確認が難しい。在庫は週次で公表され、「物理的に何が起きているか」を直接示す。IEAが今回「緊急更新版」を出したのは、在庫という実態が限界に近づいたことへの警告だ。
IEA加盟国の備蓄協調が実現するかどうかは、今後2〜3週間で見えてくる可能性が高い。米国が動かなければ協調は成立しない。ライト長官の「精査中」という言葉が具体的な発表に変わるかどうかが、当面の注目点になる。
外交面では米国・イラン間の間接交渉が断続的に続いているとされているが、核問題と安全保障の両方が絡んでおり、進展は遅い。在庫の底が近づいているということは、外交側にもプレッシャーが高まっているという読み方もある。
在庫統計とタンカー追跡データは、政治の言葉より先に動く。この夏の中東状況を読み解く上で、エネルギー専門家が週次データに注目し続ける理由はそこにある。
