「映画の中の出来事みたいだった」
現場はブライトエンジェル・キャニオンとファントム・ランチの周辺。谷底のキャンプ地とロッジがある一帯だ。
モンスーン期の集中豪雨が上流に降り、鉄砲水になって谷を降りた。狭い谷では、水が横に逃げられないぶん高さになる。
生還した一人、エリカ・ヴィオラは「人が叫ぶのが聞こえた。走れ、走れ、走れ、と」と話している。橋にたどり着いたところで、五メートル近い水の壁が来たという。
別の生還者スコット・スヴェディンは「映画の中の出来事みたいだった」と語った。
これまでに二人の死亡が確認されている。うち一人はテキサス州のカイロプラクター、ジョン・ジュスティ医師。もう一人は四十六歳の男性で、遺体はクリスタル急流の近くで見つかった。
十五人以上の安否がまだ分かっていない。六十人以上が空路で運び出された。
橋が消えると、谷は分断される
被害の中で見落とされやすいのが、橋である。
ブライトエンジェル・クリークに架かる歩行者用の橋は、ほぼ全てが流された。谷底のトレイルは、この橋がなければつながらない。
つまり、歩いて出られない人が谷に残ることになる。だからヘリコプターによる搬出が中心になった。
水道の設備も損傷し、公園は段階四の給水制限に入った。飲み水の供給が細れば、残っている人の滞在可能な時間も短くなる。
橋を架け直すには資材を谷底まで運ぶ必要がある。道路も鉄道も通っていない場所で、これは簡単な作業ではない。
観光地としての再開までには相当の時間がかかりそうだ。ただ、いまはまだ捜索の段階である。
谷底のファントム・ランチは、ラバで資材を運ぶ形で百年近く維持されてきた宿泊施設だ。補給の経路が細いという条件は、開設当初から変わっていない。
災害の復旧でも、その細さがそのまま所要時間になって現れる。
モンスーンと海のあたたかさ
アリゾナ州の夏は、モンスーン期にあたる。乾いた土地に短時間の豪雨が降り、涸れ谷に水が集まる。鉄砲水そのものは珍しい現象ではない。
今年について気候の研究者が指摘しているのは、記録的なエルニーニョと太平洋の海洋熱波である。海面水温が高いと大気に入る水蒸気が増え、一度に降る雨の量が増えやすくなる。
同じ雨量でも、降り方が集中すれば谷の水位の上がり方は変わる。逃げる時間が短くなるということだ。
ただし、個別の一回の豪雨を気候変動に直接結びつけるには、事後の解析が要る。いまの段階で言えるのは、条件が揃いやすくなっているという傾向のほうまでだろう。
国立公園局は鉄砲水の警報体制を持っているが、谷底では携帯電話が使えない区間が多い。警報が届く前に水が来る場面がある。
衛星通信端末を持つハイカーも増えてはいるものの、谷の壁に挟まれた場所では空が細く、受信できる時間が限られる。地形そのものが通信を遮っている。
「自然の中の安全」をどう設計するか
グランドキャニオンは年間四百万人以上が訪れる。谷底まで下りる人はそのうちの一部だが、それでも人数は多い。
危険な自然に人を入れることと、安全を確保することは、簡単には両立しない。柵を増やせば体験は変わるし、規制を強めれば行ける人が減る。
今回、レンジャーの判断でハイカーが橋を渡り切ったという事実は、現場の対応が働いた例として記録されるはずだ。十分の差だった。
一方で、十五人以上の安否が分かっていない。全員に十分の余裕があったわけではない。
日本の沢や渓谷でも、上流の雨で下流が増水する現象は起きる。空が晴れていても水が来るという点で、条件はよく似ている。
装備でも体力でも埋められない差があるとすれば、それは情報が届くまでの時間のほうだろう。
制度の話にする前に、まずは捜索の結果を待ちたい。
まとめ
- 八月二十九日午後、グランドキャニオン国立公園のブライトエンジェル・キャニオン周辺で鉄砲水が発生し、二人が死亡、十五人以上の安否が分かっていない
- ブライトエンジェル・クリークの歩行者用の橋はほぼ全て流され、谷底のトレイルが分断された。六十人以上が空路で搬出され、公園は段階四の給水制限に入った
- 記録的なエルニーニョと太平洋の海洋熱波が降雨の集中を強めたとの指摘があるが、個別事象との因果は事後解析を待つ必要がある
出典・参考
- AP通信
- ロイター
- 米国立公園局(NPS)発表
- アリゾナ・リパブリック
- Democracy Now



