何が起きたのか
制裁の中身と、累計で判事18人中9人という状態
米国務省と財務省外国資産管理室(OFAC)が、8月18日にICCの2人を制裁対象に指定した。
1人は所長の赤根智子氏だ。日本の検察官出身で、2018年にICC判事に選出され、2024年3月から所長を務めている。
法務省法務総合研究所の国際協力部長や、最高検察庁の検事を歴任した経歴を持つ。国連アジア極東犯罪防止研修所での勤務経験もあり、国際的な刑事司法の実務を長く扱ってきた人物である。
日本人がICCの所長に就いたのは、赤根氏が初めてだ。
もう1人はセネガル出身の上級裁判官、Abdoulaye Seye氏である。
根拠は2025年2月に出された大統領令だ。同令はICC関係者への制裁の枠組みを定めており、今回の指定はその適用にあたる。
制裁を受けると、米国内の資産が凍結される。米国人や米国企業との取引も原則として禁じられる。
影響は米国内にとどまらない。国際的な送金の多くは米ドルを介し、その決済は米国の銀行網を経由する。
つまり米国外の銀行であっても、制裁対象者の取引を扱うことに慎重になる。クレジットカードの利用や海外送金が実務上できなくなる事例は、過去の制裁でも報告されている。
裁判所の所長が、加盟国ではない国の措置によって金融取引を制限される。これまでの国際司法の運用では例が少ない。
対象はこの2人だけではない。2025年2月の大統領令以降、指定は段階的に積み上がってきた。
累計では、ICCの判事18人のうち9人が対象になっている。判事の半数が制裁下に置かれた計算だ。
加えて2人の次席検察官、前検察官のKarim Khan氏、検察局の職員1人も指定されている。裁判所の中枢が、人数の面でかなりの割合を占められている。
事務手続きや出張、金融取引に実務上の支障が出る局面はありうる。実際にどこまで審理に響くかは、まだ表に出ていない。
判事は事件ごとに部を構成して審理を担当する。制裁を受けた判事が業務を続けられるかどうかで、事件の進行に差が出る可能性がある。
ICCは制裁の影響について詳細を公表していない。ただ、声明で「妨げられた」と述べている以上、何らかの支障は生じているとみられる。
米国が挙げた理由
ルビオ国務長官は指定の理由をこう説明した。制裁対象者は「裁判所の管轄権が及ばない国の政府関係者に対する捜査と訴追に直接関与した」。
そのうえで、これは「危険な前例」だとした。
Seye氏については、イスラエルのヨルダン川西岸での活動を捜査したことを挙げている。入植者への「資金提供と武器の供与」に関する捜査が含まれるとした。
赤根所長については、個別の事件名は挙げられていない。所長という職位そのものが対象になったと読める指定である。
ルビオ氏はさらに踏み込んだ発言もしている。裁判所を「レンガを1つずつ」解体すると述べ、125の締約国に脱退を促す方針を示した。
手段としてはビザの取り消しや渡航禁止を挙げている。裁判所そのものの機能を止めにいく意図が、言葉としては明示されている。
この主張には、米国内でも賛否がある。国際法の研究者からは、制裁が司法への介入にあたるという批判が出ている。
一方で、非締約国の国民を裁く管轄権の解釈には、以前から法的な議論があったことも事実だ。ICCの立場が国際法上まったく争いのないものだとは言い切れない。
米国側の論理を整理すると、次のようになる。
- 管轄権の否定: 米国とイスラエルはローマ規程の締約国ではない。締約国でない国の国民を、その国の同意なく裁くことはできないという立場
- 主権の防衛: 自国の政府関係者や軍人が外国の裁判所に訴追される事態を、主権の侵害と位置づける
- 前例への警戒: 今回を許せば、他の非締約国の関係者にも同じ手法が及ぶという懸念
- 政治的な動機の指摘: 特定の国に捜査が偏っているという主張
ICCと各国の反応
ICCは声明で、今回の措置を「あからさまな攻撃」と表現した。
ローマ規程に基づく職務の遂行が「妨げられた」とも述べている。そのうえで、こう続けた。「司法に携わる者が法を適用したことで脅かされるとき、危険にさらされるのは国際法秩序そのものだ」
国連のグテーレス事務総長は深刻な懸念を表明した。
欧州連合からはフォンデアライエン欧州委員長とコスタ欧州理事会議長が、裁判所を「断固として支持する」と表明している。
コスタ氏は「ICCへの制裁は裁判所の独立を脅かし、国際刑事司法の制度全体を損なう」と述べた。
支持を表明する側は、判決の内容ではなく独立性を守るという点で足並みをそろえている。個別の捜査の当否とは切り離した立て方だ。
この整理には意味がある。特定の捜査に賛成するかどうかと、裁判所が外圧なしに判断できる状態を守るかどうかは、別の問いだからだ。
EUには制裁の域外適用に対抗する法制もある。ブロッキング規則と呼ばれる仕組みで、域内企業が第三国の制裁に従うことを制限できる。
実際にICC関係者の保護のために発動するかどうかは、これまで慎重に扱われてきた。今回の件で議論が再燃する可能性はある。
背景:米国とICCの関係
米国は締約国ではない
米国はローマ規程の締約国ではない。クリントン政権が署名したが、ブッシュ政権が2002年に署名を撤回している。
同じ2002年には米軍人保護法が成立した。ICCに拘束された米国人を解放するために大統領が「あらゆる必要な措置」を取れると定めた法律である。
ハーグ侵攻法という通称が付いたのは、この条文が武力による解放も排除していないと読めるためだ。
米国の立場は一貫している。締約国でない国の国民を、その国の同意なくICCが裁くことはできないという主張だ。
一方でローマ規程には別の規定がある。第12条は、締約国の領域内で行われた犯罪について管轄権を認めている。
つまり犯罪が行われた場所が締約国であれば、被疑者の国籍が非締約国でも管轄が及ぶという解釈だ。ICCはこの条文を根拠にしている。
米国の主張とICCの主張は、条約の解釈として真正面から対立している。どちらが正しいかを最終的に判断する上位の機関はない。
この対立自体は今に始まったものではない。オバマ政権期には協力的な局面もあり、トランプ第1期には制裁が発動され、バイデン政権期に解除された経緯がある。
対応が政権ごとに振れてきた点も、この問題の性格を示している。米国とICCの関係は、条約上の立場よりも政治判断で動いてきた。
ICCが扱ってきた事件
ICCは集団殺害罪、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4つを管轄する。個人の刑事責任を問う常設の裁判所として、2002年に活動を始めた。
近年の事件では、2023年3月にロシアのプーチン大統領に対する逮捕状が出された。ウクライナの子どもの連れ去りに関する容疑である。
2024年11月には、イスラエルのネタニヤフ首相と当時のガラント国防相、ハマスの幹部に対する逮捕状が出た。ガザでの戦闘に関する容疑だ。
2025年3月には、フィリピンのドゥテルテ前大統領が身柄を拘束されている。麻薬対策の名目で行われた殺害に関する事件である。
アフリカの事件が多いという批判も、長く向けられてきた。設立以来の訴追対象がアフリカ諸国に偏っていた時期があり、それが裁判所への不信につながった経緯がある。
近年はウクライナやフィリピン、中東へと対象が広がった。批判に応える形で運用が変わってきたと見ることもできる。
対象は特定の地域に限られていない。ただし米国は、イスラエル関連の捜査をとくに問題視してきた。
今回の制裁も、Seye氏に関してはヨルダン川西岸の捜査が理由に挙げられている。捜査対象と制裁の対象が、直接つながっている形だ。
日本は最大の資金の出し手
日本は2007年7月17日にローマ規程に加入し、同年10月1日に105番目の締約国となった。現在の締約国は125カ国である。
そして日本は、ICCの分担金の最大の拠出国だ。負担割合はおよそ2割にのぼる。
加入から20年足らずで、裁判所の運営を金額面で最も支える国になった。国際司法の分野で日本が示してきた立場が、この数字に表れている。
分担金の割合は、国連の分担率をもとに算出される。日本の経済規模が反映された結果でもあり、意図して最大の拠出国になったわけではない。
それでも、加入にあたって国内法の整備も行われた。2007年には国際刑事裁判所協力法が制定され、証拠の提供や被疑者の引き渡しに応じる手続きが定められている。
条約に入るだけでなく、実務で協力する体制まで作った。日本の関与は制度の上でも浅くない。
その国から所長が出ている。そして、その所長が同盟国である米国の制裁を受けた。
赤根所長は日本経済新聞の取材にこう答えている。「ある程度予期していたことで驚きはない」
続けてこう述べた。「重要なのは、これを国際的な『法の支配』の終焉の始まりとさせないこと。日本と日本の皆さまの支援が重要な鍵となるだろう」
名指しで日本の支援を求めている。当事者からの、かなり直接的な呼びかけである。
「驚きはない」という言い方も目を引く。制裁の可能性を織り込んだうえで職務を続けてきたことがうかがえる。
これに対する日本政府の反応は抑制的だった。高市早苗首相は8月19日に記者団の取材に応じた。
「大変残念に思っている。これからも米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応していく」
同じ日、外務報道官の談話も出された。「日本はICCを一貫して支持してきている立場から、今回の措置は大変残念です」
いずれも「残念」という語を使い、制裁の撤回は求めていない。抗議とも呼びにくい水準の表現だ。
外交の用語では、遺憾や抗議といった段階がある。「残念」はそのなかでも弱いほうに位置する。
野党側からは批判が出た。「『残念』で済む話ではない」「撤回を求めるべきだ」といった声が国会議員から上がっている。
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表の土井香苗氏も声明を出した。今回の措置を「世界中の被害者をないがしろにするもの」と述べている。
そのうえで、「深刻な犯罪に関与したとされる米国およびイスラエル政府関係者に対する司法の裁きを阻もうとする試み」だとした。
政府の対応をどう評価するかは分かれる。日米関係の実務を重く見れば抑制的な表現には理由があり、法の支配の原則を重く見れば物足りないという評価になる。
前者の立場からは、公開の批判よりも水面下の働きかけのほうが効くという反論が出る。実際、外交の多くは表に出ない場所で動く。
後者の立場からは、最大の拠出国が声を上げなければ他の国も動きにくいという指摘がある。制度を支える側の姿勢が、他国の判断に影響するという見方だ。
どちらの見方にも根拠がある。ただ、制裁を受けた当事者が日本に支援を求めている以上、応答の内容は問われ続ける。
世界トップメディアの見立て
- JURIST(8月18日): ルビオ国務長官の説明と、累計での指定人数を整理して報じた。ICCの「あからさまな攻撃」という声明も引用している
- 日本経済新聞(8月21日): 赤根所長本人のコメントを掲載。「法の支配の終焉の始まりとさせないこと」という発言と、日本の支援を求める文言を伝えた
- 時事通信・朝日新聞(8月19日): 高市首相の「大変残念」という発言と、外務報道官談話を報じた
- 毎日新聞(8月19日): 日本が最大の分担金拠出国である点を踏まえ、政府の対応の抑制的な性格を指摘している
- J-CAST(8月20日): 野党議員から出た「『残念』で済む話ではない」という批判を伝えた
- ヒューマン・ライツ・ウォッチ(8月19日): 日本代表の土井香苗氏の声明を発表。被害者の救済が阻まれる点を問題にしている
日本のメディアの多くは、制裁の是非よりも政府の対応の温度に焦点を当てた。国際メディアは、裁判所の機能不全がどこまで進むかを見ている。
同じ出来事でも、報じる位置によって見出しの重心が変わる。日本では「日本人所長」が、欧州では「司法の独立」が前に出た。
一方で、米国内のメディアの扱いは相対的に小さかった。ICCへの制裁が2025年2月以降、繰り返されてきたことも背景にある。
回数が増えると、1件ごとのニュース性は下がる。制度への圧力が積み上がっていることと、報道の量は必ずしも一致しない。
数字で見る
| 項目 | 数値 | 備考 |
|---|---|---|
| 今回の指定 | 2人 | 赤根智子所長、Abdoulaye Seye氏 |
| 制裁下の判事 | 18人中9人 | 2025年2月の大統領令以降の累計 |
| その他の対象者 | 次席検察官2人ほか | 前検察官Karim Khan氏、検察局職員1人を含む |
| ICC締約国 | 125カ国 | 米国は非締約国 |
| 日本の加入 | 2007年10月1日 | 105番目の締約国 |
| 日本の分担金比率 | 約2割 | 締約国のなかで最大 |
| 大統領令の発出 | 2025年2月 | 今回の制裁の根拠 |
| 米軍人保護法 | 2002年成立 | ハーグ侵攻法とも呼ばれる |
判事18人中9人という比率が、今回の件のなかで最も重い数字だ。半数が制裁下にある状態で、裁判所が通常どおり機能し続けられるかは未知数である。
分担金の約2割という数字も、あらためて見ると大きい。125カ国のうち1国が全体の5分の1を負担している計算になる。
締約国が125カ国という点にも触れておきたい。国連加盟国は193カ国なので、世界の3分の2に届いていない。
米国、中国、ロシア、インドは締約国ではない。人口や経済で上位に来る国が加わっていない状態が、この制度の出発点にある。
ルビオ氏が125カ国に脱退を促すと述べたのは、この数字をさらに削ることを意味する。
日本への影響・示唆
- 同盟と原則の両立: 日本は米国の同盟国であり、同時にICCの最大の資金拠出国でもある。2つの立場が矛盾する場面が生じた。今後も同種の対立が出てくる可能性がある
- 邦人職員への実務的な影響: ICCには日本国籍の職員がいる。米国の金融システムから切り離されると、給与の受け取りや出張の決済に支障が出うる。個人の生活に直結する問題である
- 分担金の扱い: 資金面で最大の支え手である以上、拠出を続けるかどうかは裁判所の運営に直接響く。減額や停止は選択肢として議論されていないが、国内の世論次第では論点になりうる
- 国内法との整合: 日本は2007年に国際刑事裁判所協力法を整備し、証拠提供や引き渡しに応じる体制を作った。米国の制裁対象者と裁判所を通じてやりとりする場面が出れば、実務の整理が必要になる
- 企業のコンプライアンス: 制裁対象者との取引は米国企業だけでなく、米国と取引のある日本企業にも影響する。金融機関はとくに、送金や口座管理での確認が必要になる
- 国際司法への信頼: 判事の半数が制裁下という状態は、他の国際機関の関係者にも先例として意識される。日本が国際機関に人を送るときの前提が変わる可能性がある
- 議論の場としての国会: 野党から撤回要求が出ている。政府の対応の是非を国会でどう扱うかが、日本の立場を対外的に示す機会にもなる
- 報道と教育の役割: ICCの仕組みや締約国の義務は、日本国内で広く知られているとは言いにくい。制度を説明する情報が増えなければ、世論としての支持も形になりにくい
- 人材の送り出し: 国際機関で働く日本人にとって、職務の遂行が制裁につながる事例が生まれた。政府がどう保護するかの前例がない状態は、志望者の判断にも影響する
日本の対応が抑制的である理由には、外交上の判断がある。公開の場で同盟国を批判すれば、他の交渉に影響が及ぶという見方だ。
一方で、最大の拠出国が沈黙に近い姿勢をとることが、裁判所を支える他の国に与える影響もある。どちらを重く見るかで、評価は変わる。
今後の見通し
- ① 締約国会議の対応: 125の締約国が集まる場で、制裁への共同の対応が示されるかどうか。EUは支持を表明済みで、日本がどこまで踏み込むかが焦点になる
- ② 追加指定の有無: ルビオ氏は「レンガを1つずつ」と述べている。残る9人の判事や事務局への指定が続くかどうかが、次の観測点になる
- ③ 裁判所の実務: 判事の半数が制裁下で、審理の日程や証拠の管理にどこまで支障が出るか。表面化するまでに時間がかかる種類の影響である
- ④ 日本政府の説明: 「残念」から先の言葉が出るかどうか。臨時国会や委員会での質疑が、その機会になる
- ⑤ 締約国の脱退: 米国が脱退を働きかけると明言した以上、実際に離脱を検討する国が出るかどうかが、制度の持続性を左右する
- ⑥ 米国の政権交代後: 過去には制裁の発動と解除が政権交代とともに起きている。今回の措置が恒久的なものになるかどうかは、まだ決まっていない
- ⑦ 判事の補充と後任: 制裁下の判事が職務を続けられなくなった場合、後任の選出をどう進めるか。裁判所の人事そのものが外圧の影響を受ける事態になりうる
判事18人のうち9人が制裁下にあり、その1人が日本人の所長である。 日本はこの制度に最も多くの金を出してきた国でもある。その事実を踏まえてどう振る舞うかは、これから決まる。
赤根所長は「日本と日本の皆さまの支援が重要な鍵となるだろう」と述べた。この言葉に、どんな応答があるのか。答えは日本の側にある。
制度の是非をめぐる議論には、正解が1つだけあるわけではない。それでも、何が起きたのかを知らないままでは、議論そのものが始まらない。
参照メディア
- JURIST(2026年8月18日)
- 時事通信 / 朝日新聞 / 毎日新聞 / 外務省報道官談話(8月19日)
- ヒューマン・ライツ・ウォッチ 日本代表声明(8月19日)
- J-CAST(8月20日) / 日本経済新聞(8月21日)



