なぜGemini 3.5 Proはリリースできないのか
事の発端は今年5月のGoogle I/Oにまで遡る。 CEO・スンダー・ピチャイは「6月にProを出す」と公言したが、モデルは根本的な問題を抱えていた。
Bloombergの報道によれば、Google DeepMindのエンジニアは「再帰的ツール呼び出しとSVG生成における構造的欠陥」を発見し、ベースモデルをスクラップして全面的な事前学習からやり直しに踏み切った。
6月の段階でコーディング性能を高めようと学習データの差し替えを試みたが、結果は「失望的」と内部報告された。 7月17日を3回目の目標として設定したが、繰り返し検証での精度低下やGPT-5.6との性能差が埋まらず、またも見送りとなった。
競合との差がここまで広がった理由
Gemini 3.5 Proの苦戦を際立たせるのは、競合の動きだ。 OpenAIは7月9日にGPT-5.6をSol・Terra・Lunaの3バリアントで公開した。 同日、SpaceXAIのGrok 4.5も一般公開され、さらにDeepSeekはV4の安定版を7月24日に控えている。
一方のGemini 3.5 Proは、フラッシュ版(Gemini 3.5 Flash)が先行公開されているものの、Pro本体のリリースは依然不明だ。 GPT-5.6のコーディングベンチマークと比較した内部データでは、Gemini 3.5 Proは重要指標で10〜15ポイントの差があるとも伝えられる。
AI研究者の視点では、ここに「スケーリング則の限界に対する対処能力の差」が出ているとも読める。 OpenAIやAnthropicが採用している強化学習(RLHF)と「プロセス報酬モデル」の組み合わせに対し、Googleはより伝統的な事前学習に依存しているとの指摘もある。
Googleの内部で何が起きているのか
遅延の背景には技術的問題だけでなく、組織的な摩擦もある。 Bloombergの報道では「多くのエンジニア、AI研究者、マネージャーが会社に対する不満を深めており、競合に遅れをとることへの懸念を公言している」と描写された。
さらに深刻なのは上位研究者の離脱だ。 Gemini 3.5 Proの開発が難航するなか、GoogleからAnthropicへ移籍したシニア研究者が複数名確認されている。
研究文化の摩擦、官僚的な意思決定プロセス、そして「世界最大のAI企業」という看板と実際の開発速度のギャップが、優秀な研究者を他社へ押し出している可能性がある。
TechCreateでは、同じく高性能モデルを投入するAnthropicのIPO計画についても詳報している。
アーキテクチャの再設計が意味するもの
AI研究者として注目すべきは、Googleが行った「ベースモデルのスクラップと再構築」という意思決定そのものだ。 事前学習には莫大な計算リソースと時間を要する。 今回の全面やり直しは、単純な微調整では解決できない根本的な欠陥がモデルに存在したことを意味する。
特に問題視された「再帰的ツール呼び出し」の失敗は、エージェント型AIにとって致命的だ。 現代のAIアシスタントはツールを呼び出し、その結果を受けて次のアクションを決定する「ループ処理」を繰り返す。 ここで精度が落ちると、複雑なタスクをこなすうちに誤りが積み上がり、最終的な出力が大きく破綻する。
Googleが目指す2Mトークンのコンテキスト窓は、コードベース全体や長大なドキュメントを一括処理するために不可欠だが、これもアーキテクチャ上の挑戦を増大させる要因だ。
日本の開発者・企業への影響
Gemini 3.5 Proのリリース遅延は、日本の開発者やAI導入企業にも波及する。 Google Workspaceをベースにしたエンタープライズ向けGemini活用を進める日本企業の多くは、ProモデルのAPIアクセスを前提に開発を進めていた。
また、GoogleのVertex AIプラットフォームはGCP(Google Cloud Platform)を利用する日本企業の主要AIインフラとなりつつある。 旗艦モデルの遅延は、競合のAzure OpenAIやAWS BedrockへのAI投資のシフトを促す可能性もある。
米東部を直撃した熱波とデータセンターの電力問題が示すように、AIインフラの選択はビジネス継続性にも直結する問題だ。
「Google版ChatGPT」の登場は遠いのか
Gemini 3.5 Proの苦闘は、Googleという組織の特性を映し出している。 検索広告という巨大な収益事業を持ち、その現業を守りながら新規領域で速度を出すことの難しさ——これは「革新者のジレンマ」の教科書的な構造だ。
一方でGoogleには、DeepMind由来の世界水準の研究力、TPU独自ハードウェア、ユーザーデータの規模という強みがある。 もしGemini 3.5 Proが完成したとき、コーディングと長文推論において本当に2Mコンテキストで動くなら、その能力はGPT-5.6やClaude Opus 4.6をしのぐ可能性もある。
問題はタイミングだ。 AI分野では数カ月の遅れが市場シェアを大きく動かす。 Gemini 3.5 Proが登場するまでの間、エンジニアたちはGPT-5.6やGrok 4.5で経験を積み、ツールチェーンを最適化し、習慣を形成していく。
Googleは巻き返せるのか——それとも技術的精緻さと市場投入速度のトレードオフを、致命的なかたちで間違えたのか。 あなたはどちらの未来を信じるか。
ソース:
- Google Gemini Launch Delayed as Tech Falls Short of Internal Goals — Bloomberg(2026年7月16日)
- Rebuilt Gemini 3.5 Pro Misses Third Deadline: Google Eyes Stopgap Release — TechTimes(2026年7月16日)
- Gemini 3.5 Pro delays due to coding performance, upgraded Flash model in testing — 9to5Google(2026年7月16日)
- Google Delays Gemini 3.5 Pro Over Coding Issues: Report — Search Engine Journal(2026年7月16日)