2026年3月19日の決算発表で、Alibaba GroupのCEO Eddie Wuが驚きの数字を口にした。AI・クラウド事業の年間売上を5年以内に1000億ドル(約15兆円)に到達させる、と。現在の5倍という野心的な目標だ。
現在の業績——成長と利益減の矛盾
| 指標 | 数値 |
|---|---|
| クラウド四半期売上 | 433億元(約60億ドル) |
| 前年同期比成長率 | +36% |
| 四半期利益 | 前年同期比-67% |
| 5年間目標 | 1000億ドル/年 |
| 必要な年間成長率 | 約35% |
クラウド売上は36%成長と好調だが、四半期利益は67%減少した。大規模なAIインフラ投資が利益を圧迫している構図だ。
Qwen 3.5——独自LLMの競争力
AlibabaのAI戦略の中核は、独自の大規模言語モデル「Qwen(通義千問)」だ。2026年初頭にリリースされたQwen 3.5は、コーディングと推論能力でグローバルトップクラスの性能を示している。オープンソース戦略でエコシステムの拡大を図りつつ、エンタープライズ向けには有料のAPI提供で収益化する二面作戦だ。
3つの成長エンジン
1000億ドルへの道筋は3つの柱で構成される。第一に「エージェンティックAI」だ。AlibabaのOpenClawフレームワークにより、企業はサプライチェーン管理から顧客対応までAIエージェントを構築できる。第二に自社開発チップ「T-Head」で、すでに47万個を出荷し年間売上100億元を達成。第三にAIサービスの値上げで、一部サービスは最大34%の価格引き上げを実施した。
Qwen 3.5の技術力——グローバルモデルとの比較
AlibabaのAI戦略を支えるQwenモデルの競争力は、主要ベンチマークで明確になっている。
| ベンチマーク | Qwen 3.5 | GPT-5 | Gemini Ultra |
|---|---|---|---|
| コーディング(HumanEval) | トップクラス | トップクラス | 高い |
| 推論(MATH-500) | 高い | 最高水準 | 最高水準 |
| 中国語理解 | 最高水準 | 高い | 高い |
| 価格(100万トークンあたり) | 最も安価 | 高価 | 中程度 |
Qwen 3.5はオープンソースで公開されており、世界中の開発者が無料で利用・改変できる。この戦略はMetaのLLaMAと同様で、エコシステムの拡大を通じてデファクトスタンダードの獲得を目指すものだ。一方で有料のAPI提供やエンタープライズ向けカスタマイズで収益化を図る二面作戦は、Alibabaの「プラットフォーマーとしてのDNA」が色濃く反映されている。
T-Head自社チップ——輸出規制への対抗策
Alibabaは半導体設計子会社T-Headを通じて、自社設計のAIチップを開発している。すでに47万個を出荷し、年間売上100億元を達成した。米国の輸出規制によりNVIDIAの最先端GPUへのアクセスが制限される中、自社チップは「保険」であると同時に、長期的なコスト削減策でもある。
ただし、自社チップの性能はNVIDIAのH100/H200には及ばない。この性能ギャップをソフトウェア最適化で補う戦略は、人海戦術的なエンジニアリングリソースを投入できる中国テック大手ならではのアプローチだ。
中国クラウドの三国志——Alibaba vs Huawei vs Tencent
中国のクラウド市場でAlibabaのシェアは約30%で首位だが、Huawei Cloud(AI特化のAscendチップを武器に急成長)とTencent Cloud(ゲーム・エンタメ領域に強み)の追い上げが激しい。特にHuaweiは米国制裁を逆手に取り「国産AI基盤」としてのポジションを確立しつつある。1000億ドルの目標達成には、国内市場の防衛と海外展開の両方が不可欠だ。
米中AI競争の中での戦略
米国の輸出規制により、最先端のNVIDIAチップの入手が制限される中、Alibabaは自社チップとソフトウェア最適化で対抗している。制約が逆にイノベーションを加速させるという、テック業界ではしばしば見られるパターンだ。
Qwenモデルのオープンソース戦略も、Alibaba CloudのAI攻勢の重要な柱だ。Qwen2.5はHugging Faceで最もダウンロードされたモデルの一つとなり、開発者コミュニティでの存在感を急速に高めている。オープンソースでエコシステムを構築し、クラウドサービスでマネタイズする——MetaのLlamaと同じ戦略だが、Alibabaはクラウドインフラを自社で持つ点でMetaよりも直接的な収益化パスを持っている。このモデルとインフラの垂直統合は、純粋なクラウドプロバイダーにもモデル開発企業にもない独自の優位性だ。
「利益を犠牲にした成長」のリスクと前例
Alibabaのクラウド事業は36%の売上成長を達成する一方で、四半期利益は67%減少した。AIインフラへの大規模投資が利益を圧迫しているためだ。この「利益を犠牲にした成長」戦略には、AmazonのAWS事業と重なる部分がある。AWSは長年にわたって低利益率で市場シェアを拡大し、スケール効果が働く段階で一気に利益率を改善させた。
ただし、Alibabaが置かれた環境はAmazonとは異なる。第一に、中国のクラウド市場はHuaweiとTencentの追い上げが激しく、AWS時代のAmazonほどの市場支配力を確立できていない。第二に、米国の輸出規制により最先端チップへのアクセスが制限されており、計算性能で米国のクラウドプロバイダーに劣る可能性がある。第三に、海外展開が地政学的リスクに直面しており、東南アジア以外の市場での成長が困難だ。
1000億ドルという目標を達成するには、中国国内市場での圧倒的シェア確保と、東南アジア・中東などの「非西側」市場での積極展開が不可欠だ。AIサービスの値上げ(一部で最大34%)はマージン改善への意思を示しているが、価格競争の激しい中国市場で値上げ戦略がどこまで受け入れられるかは未知数だ。
1000億ドルという目標は、年率35%の成長を5年間維持することを意味する。現在の成長率は目標ラインに乗っているが、競争激化と利益圧迫の中でどこまで持続できるか。「利益を犠牲にした成長」は、Amazonがかつて歩んだ道と重なる。Alibabaは「中国のAmazon」になれるのか。
AlibabaのAI・クラウド戦略を理解するには、同社のDNA——「プラットフォーマーとしての思考」——を理解する必要がある。Amazonがeコマースからクラウドに拡張したように、AlibabaもeコマースプラットフォームTaobao/Tmallで培った大規模データ処理の能力をクラウドに転用している。AI時代にはこの優位性がさらに強化される。eコマースの膨大なトランザクションデータ、物流ネットワークのリアルタイムデータ、決済システムのデータ——これらはAIモデルの学習に極めて有用であり、純粋なクラウドプロバイダーにはない「データの堀」を形成している。
5年で1000億ドルという目標は、単なる数字の野望ではなく、AIが全産業に浸透する「AIクラウド化」の波に乗る戦略的な判断だ。問題は、この波がAlibabaを持ち上げるのか、それともAWSやAzureの牙城を崩すには至らないのか。中国市場での首位を維持しつつ、どこまでグローバルに展開できるかが答えを左右する。
出典: Bloomberg, Caixin Global, Reuters