評価額1,700億円、その前に「9回の失敗」があった
まず現在地を確認しておきたい。
SmartHRは2021年6月のシリーズDで約156億円を調達し、評価額1,731億円で国内ユニコーンの仲間入りを果たした。当時のARR(年間経常収益)は約45億円。
その後も成長は止まらない。2024年2月にARR150億円を突破(前年比150%)、同年7月のシリーズEではカナダ年金基金OTPPと米KKRをリード投資家に約214億円を調達した。評価額は非公表ながら、前回の1,731億円を上回ったとみられている。
その「いま」の裏側に、初日に集まったユーザーがそのまま消えていったサービスや、誰にも刺さらずに畳んだプロダクトが積み重なっている。
第1の壁:失敗と分かっていても、閉じる勇気がなかった
宮田が最初に手がけたのは、エンジニアのスキルを可視化して企業の採用を支援するサービスだった。
立ち上げ当初こそ大手企業を顧客にできたものの、その先が伸びない。後年、宮田はその原因をこう振り返っている。
「自分」がほしいと思うものだけを作り続けてしまっていた。ユーザーヒアリングをまったくしていませんでした。
頭のどこかでは「これはうまくいかない」と気づいていた。それでも、サービスを閉じる決断ができない。気づけばダラダラと時間だけが過ぎていく。
新規事業の最初の壁は、立ち上げることではない。撤退を決めることだ。沈みかけた船にしがみつく時間こそが、次の打席を遠ざける。
撤退できないのは「失敗を認めたくない」から
人は一度動き出したものを止められない。投じた時間と労力が惜しくなり、「もう少し続ければ」と自分に言い訳する。宮田が乗り越えた最初の関門は、この心理そのものだった。
オンラボで突きつけられた「ちゃんとヒアリングした?」
2つ目のサービスもクローズに追い込まれた。ちょうどその時期、宮田はシードアクセラレーターのOpen Network Lab(オンラボ)第10期に採択される。2015年1月のことだ。
3ヶ月後に控えるDemo Dayで結果を出せなければ、共同創業者や家族のことを考えて会社を畳む——そこまで腹をくくっていた。
そのオンラボで、メンターから核心を突く問いを投げられる。
君たちのサービス、ちゃんとユーザーヒアリングして作った?
していなかった。なぜか。理由は気合いや能力の問題ではなく、もっと人間くさいものだった。
「否定されるのが怖かった」
自分たちのアイデアを、ユーザーにぶつけて否定されるのが怖い。だから聞かない。聞かないまま「きっと求められているはずだ」と思い込んで作る。
意を決してヒアリングを始めると、想像していた通りの——いや、想像以上の現実が待っていた。ニーズなど、どこにもなかった。次々と「刺さらない」ことが明らかになっていく。
聞きたくない真実を聞ける人だけが、本物にたどり着く。
100件超・10回ピボット——「超速仮説検証」の中身
ここから宮田は、後に「超速仮説検証」と呼ばれる怒涛のサイクルに入る。
やり方はシンプルだ。1日目に課題を見つけ、2日目にソリューションを形にし、3日目に5人へヒアリングして検証する。週単位で見れば、月曜に仮説を立て、水曜にプロトタイプを作り、木曜にユーザーへ当て、週末にニーズの有無を判定する。
これを1週間に1サイクル回し続けた。オンラボの期間中だけで、ヒアリングは100件超、ピボットは10回に及んだ。
普通の起業家が1つのアイデアに半年をかけて沈むあいだに、宮田は10個のアイデアを試し、9個を捨てた。打席の数が、根本的に違った。
10個目で出会った「バーニングニーズ」
そして10回目のヒアリングは、これまでとまるで様子が違った。
入社手続きや社会保険の面倒さを淡々と質問していくと、相手のテンションが勝手に上がっていく。聞いてもいないのに不満があふれ出す。「書類地獄に悩んでいる」「役所の手続きがあり得ないほど面倒だ」——。
宮田は当時の手応えをこう表現している。
5人が5人、まるで仕込まれたかのように同じような返答があった。こちらから聞かなくても、悩みを話してくれる。
これがバーニングニーズ(燃えるような切実な課題)だ。真のニーズは、ユーザーが勝手に喋り出す瞬間にある。
原点は、宮田自身の闘病だった
このテーマには、宮田個人の必然があった。
宮田はかつてハント症候群という難病を患っている。十万人に一人と言われ、完治の見込みは20%と宣告された。それでも傷病手当金という社会保険のおかげでリハビリに専念でき、完治にこぎつけた。
そんな折、家に帰ると妻が産休・育休の書類を自分で書いていた。手続きが煩雑すぎて、受給が遅れたり受け取れなかったりする人がいるとしたら——。社会保険に救われた自分こそが取り組むべきだ。そう確信した瞬間に、SmartHRの輪郭が定まった。
切実なユーザーの声と、創業者自身の原体験。この2つが重なったとき、10回目のピボットは「最後のピボット」になった。
凡人が真似できる3つの再現ポイント
宮田の物語は、才能の物語ではない。再現可能な「手順」の物語だ。年商数十億規模まで事業を伸ばすために、彼が実践したことは次の3つに集約できる。
注目すべきは、宮田が外部の力を徹底的に使った点だ。オンラボというアクセラレーターの環境に身を置いたからこそ、メンターの厳しい問いを浴び、短期間で打席を量産できた。一人で抱え込まず、強制的に検証が回る場所へ飛び込む。これも再現可能な戦略だ。
打席に立ち続けた者だけが
SmartHRは天才のひらめきから生まれたのではない。9回の失敗を経て、10回目にようやく当てた——その地道な反復の果てにある。
撤退を決め、聞きたくない真実を聞き、勝手に喋り出すユーザーが現れるまで打席に立ち続ける。宮田昇始ですら、10回かかった。
あなたがいま握りしめているアイデアは、ユーザーが勝手に喋り出すほど切実なものだろうか。それとも、否定されるのが怖くてまだ誰にも当てていないだろうか。
打席に立った回数だけ、正解に近づく。次のスイングは、いつ振るか。
出典・参考
- 「SmartHR」開発のヒントは〝超速仮説検証〟宮田昇始さん|STARTUP DB Media
- 継続的成長には“回復の技術”が必要だ──SmartHR宮田昇始が「メンタルヘルス」から半生を語る|EY Innovative Story
- 「12回の事業転換」世の中の課題見つけられずに SmartHR・宮田昇始社長|ダイヤモンド・オンライン
- 新規事業に二度失敗、「SmartHR」宮田昇始さんに聞く“三度目の正直”|doda X
- クラウド人事労務ソフトを提供するSmartHR、約214億円のシリーズEラウンドを実施|株式会社SmartHR
- スマートHR、125億円調達 国内6社目の「ユニコーン」|日本経済新聞
- Japan's SmartHR raises $140M Series E as strong demand for HR tech boosts its ARR to $100M|TechCrunch


