結論はverbatim
取材の一次記録はverbatimで保存し、フィラーや重複を取り除く作業は編集工程で行う。この順序なら、読みやすく整えた後でも原音と逐語記録へ戻れる。逆にcleanだけを保存すると、AIが削った発言を文字から復元することはできない。
cleanが悪い機能という意味ではない。会議の要点をすぐ読みたい場面や、検索しやすい議事録を作る場面では役に立つ。問題は、用途を決めないまま「読みやすいほう」を原本にしてしまうことだ。
MAIの主な仕様
Microsoft Learnの公式ドキュメントによると、MAI-Transcribe-2は日本語を含む60言語に対応する音声認識モデルである。2026年9月時点ではパブリックプレビューで、Microsoftは本番ワークロード向けのSLAを設けていない。
| 機能 | できること | 取材での意味 |
|---|---|---|
| 話者ダイアライゼーション | 発言者を分離する | 質問者と回答者の取り違えを減らす |
| 単語タイムスタンプ | 単語単位で時刻を返す | 原音の該当箇所へ戻りやすい |
| phraseList | 優先したい語句を渡す | 社名、製品名、人名の誤変換を抑える |
| コードスイッチング | 複数言語が混じる音声を扱う | 日本語の会話に英語の製品名が入る取材に向く |
| transcribeStyle | cleanとverbatimを選ぶ | 削除する情報の範囲を決める |
| ノイズ耐性 | 雑音下の認識を改善する | 会場や店舗での収録を助ける |
Microsoftは自社評価として、FLEURSの60言語平均で単語誤り率5.2%と説明している。ただし平均値は日本語単体の精度を示さず、録音環境や話者、専門語によって結果は変わる。25言語平均など別の母集団で出た数値と、単純に優劣を比べるべきではない。
固有名詞を先に渡す
企業取材の修正工数を大きくするのは、一般語より固有名詞だ。「精度99%」に近い文字起こしでも、社名やサービス名を毎回誤れば、編集者は全出現箇所を探して直すことになる。
phraseList.phrases には、認識時に優先したい語句を事前登録できる。取材前の準備は次の順にするとよい。
- 企業サイトと取材票から、社名、氏名、役職、製品名を抜き出す
- 略称、アルファベット表記、業界用語を追加する
- 文字起こし後に、登録語が別の一般語へ変換されていないか検索する
- 話者分離とタイムスタンプを使い、疑わしい箇所だけ原音へ戻る
ここで重要なのは、AIに修正を丸投げするのではなく、間違いが高コストになる場所を先に教えることだ。AI校正にも同じ考え方があり、AI校正ツールの比較記事で扱ったように、用途ごとの辞書と人の確認点が品質を左右する。
cleanで消えるもの
公式仕様では、verbatimはフィラー、言いよどみ、言い直し、自己修正を保持する。cleanはそれらを除去し、読みやすい文章に近づける。
たとえば発言が「売上は、ええと、前年の1.2倍……いや、正確には1.18倍です」だったとする。cleanの結果が「売上は正確には前年の1.18倍です」なら、最終数値は読める。しかし話者がその場で数字を訂正した事実は消える。校正時に先方から数値の経緯を問われても、cleanの文字列だけでは説明できない。
| 用途 | 推奨する原本 | 理由 |
|---|---|---|
| 取材記事、事例記事 | verbatim | 発言の修正過程を確認できる |
| 法務・金融の確認記録 | verbatim | 削除前の言葉へ戻れる |
| 会議の検索用メモ | cleanも選択肢 | 読みやすさを優先しやすい |
| 字幕のたたき台 | 目的で選ぶ | 忠実性と表示量のどちらを優先するかで変わる |
文字起こしと公開原稿は同じものではない。公開原稿では、重複を除き、文の順序を整え、読者に伝わる形へ編集する。ただし、その変更は人が原音と文脈を見て判断し、必要なら戻せる状態で行うのが安全だ。
三層で記録する
実務では、データを「音声」「逐語記録」「編集原稿」の三層に分けると責任範囲が明確になる。
第一層の音声は、誰でも触れる共有フォルダへ漫然と置かない。取材同意、機密性、保存期限に合わせて権限を決める。第二層はverbatimと話者・時刻を保持し、検索可能な索引にする。第三層で初めて、表記統一や不要なフィラーの削除、構成の整理を行う。
この分離によって、「実際には何と言ったか」と「記事としてどう表現したか」を別々に説明できる。クライアント校正で差分が出ても、編集者の記憶ではなく記録を根拠に話せる。
導入前の注意点
MAI-Transcribe-2は公開時点でプレビュー版であり、本番SLAの対象外だ。対応リージョンもサービスごとに異なるため、日本語対応という事実だけで利用環境を決めてはいけない。Azureのリージョン表で、使う機能とリージョンの組み合わせを確認する必要がある。
また、MicrosoftはMAI-Transcribe-1を2026年8月20日付で非推奨としている。業務フローへ組み込むなら、モデル名をコードや手順書へ固定するだけでは足りない。
- モデルの提供状態と廃止日を定期確認する
- 同じ音声サンプルで新旧モデルを比較する
- 話者分離、固有名詞、数字の差分を記録する
- 切り替え前後で原本の保存形式を変えない
- プレビューから一般提供へ移る際に料金とSLAを再確認する
Microsoft AIの発表では、公開時の価格を音声1時間あたり0.10ドルとしている。ただし価格や提供条件は変わり得るため、恒久的な前提には置かず、導入時の公式料金を確認したい。
発注時の質問
制作会社へ文字起こしを任せる場合、「AIを使うか」だけを聞いても品質管理は見えない。次の質問なら、原本の扱いと人の確認工程を確かめられる。
| 質問 | 確認できること |
|---|---|
| どのモデルとバージョンを使うか | 再現性と更新方針 |
| cleanかverbatimか | AIが事前に削る情報 |
| 固有名詞を事前登録するか | 誤変換を予防する準備 |
| 話者とタイムスタンプを残すか | 原音へ戻れるか |
| 誰が原音照合するか | 人の最終責任 |
| 音声をいつ削除するか | 機密情報の管理 |
精度の数字は比較材料の一つにすぎない。取材原稿で本当に問われるのは、間違いや省略が起きたときに、根拠へ戻って直せる設計があるかどうかだ。
よくある質問
MAI-Transcribe-2は日本語に対応していますか
対応している。Microsoftの公式文書は、対応する60言語の一つに日本語を挙げている。ただし日本語単体の認識率は公開された多言語平均とは別に考え、実際の録音条件で試す必要がある。
cleanは取材で使ってはいけませんか
禁止ではない。読みやすい確認用コピーとして併用するのは便利だ。ただし、原本としてverbatimと音声を残し、cleanだけを唯一の記録にしないほうが安全である。
phraseListに何を入れればよいですか
社名、製品名、人名、役職、略称、固有の技術用語を優先する。取材票や企業サイトから事前に一覧化し、表記ゆれも含めて確認する。
フィラーは公開原稿にも残しますか
すべて残す必要はない。公開原稿では読みやすく整えられる。ただし削除はAIの自動処理だけで確定せず、発言の意味や話者の迷いに情報がないかを人が判断する。
文字起こしAIの精度は何で評価しますか
単語誤り率だけでなく、固有名詞、数字、否定表現、話者分離、タイムスタンプ、原音照合にかかる時間を同じ音声で測る。編集工程全体の手戻りが減るかを見るのが実務的だ。
まとめ
- 取材の文字起こしは、読みやすさより先に「後から原音へ戻れるか」を設計する。verbatimを原本にすると、AIが削った内容を見失わない
phraseListと話者分離は、平均精度では見えない固有名詞の修正工数や発言者の取り違えを減らす- 音声、逐語記録、編集原稿を三層に分けると、AIの自動処理と人の編集責任を切り分けられる
出典・参考
- MAI-Transcribe-2 - Speech service - Foundry Tools(Microsoft Learn、2026年9月3日更新)
- MAI-Transcribe-2 model page(Microsoft AI)
- MAI-Transcribe-2 is the fastest, most accurate, and cheapest speech recognition model in the world(Microsoft AI、2026年9月3日)
- Speech service supported regions(Microsoft Learn)



