「連行されて、殺されていた」
10月3日深夜、ウムバドルに武装した男たちが現れた。 RSFだと複数の住民がアナドル通信に語った[1]。
家から家へとかたっぱしから回り、男性を連行した。 抵抗しようとした者は、その場で殴打されたという。
翌朝に見つかった遺体の多くは、村外れの空き地に集められていた。 弾痕のある状態で、顔を下にして倒れていたとされる。
医師団は「ウムバドルで起きたのは今回が初めてではない」と述べた[2]。 同地域では今年3月と7月にも同様の報告があった。
生存者の一人は「深夜に起こされ、村の男たちが連れて行かれた」と証言した[1]。
名前と村名は伏せられている。安全上の理由から、証言者の身元は非公開だ。
医師団の調査では、犠牲者の多くは農業や日雇いに従事していた住民だった。
「武装集団の一員ではない。普通の村人だ」と声明は述べる[2]。

ウムバドルという場所
ウムバドルは北コルドファン州の南部に位置する農村地帯だ。 州都エル・オベイドからおよそ120キロ南にある。
RSFは2024年以降、北コルドファン州の大部分を制圧した。 住民が安全に逃げられる幹線道路は、ほぼ検問所で塞がれている。
この地域では、今年だけで民間人への攻撃が複数回記録されてきた[3]。 それでも人道支援組織がアクセスできるのは、ごく限られたエリアだけだ。
国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、北コルドファン州では今年1月以降に数千人が死亡したとみられている。 正確な数字は誰にも分からない状態が続いている。
2025年末にはRSFがエル・オベイドに迫ったが、SAFが持ちこたえた。 その後の膠着が、農村部への攻撃の激化につながったとみられている。
ウムバドルのような小さな集落には、軍や警察の常駐がない。 RSFが来ても、住民が頼れる力は近くにないのだ。
戦争は3年半に入った
スーダン内戦が始まったのは2023年4月15日だ。 SAF(スーダン国軍)とRSFが、突如として首都ハルツームで衝突した。
「数日で終わる」という当初の見立ては、完全に外れた。 2026年10月現在、推定死者数は15万人を超えている[4]。
UNHCRによると、国内避難民は約1,100万人だ。 これはシリア内戦のピーク時に匹敵する規模だ。
国際社会は停戦を求め続けているが、合意には至っていない。 RSFのダガロは制裁対象リストに載った後も、腰が重い様子を見せていない。
ハルツームの市内では廃墟となったビルが続いている。 かつてアフリカ有数の都市だった首都は、3年半でどこ吹く風のように荒廃した。
アフリカ連合は複数回の調停を試みた。 しかし両者の信頼関係が最初から崩れていたため、交渉テーブルすら整わないことが多い。
「誰が死んだかも分からない」
今回処刑された25人以上の氏名は、10月4日現在も確認されていない。 報道陣が現場へアクセスする方法がない。
スーダン医師団は、医療従事者のネットワークを通じて情報を集めている。 それが国際社会に届く数少ない経路になっているのが現状だ。
RSFは虐殺への関与を否定した。 「正規の軍事作戦だ」と述べており、民間人への意図的な攻撃は認めていない[1]。
だが医師団は、処刑が行われた場所に弾丸の痕と血痕を現地関係者が確認したと述べている[2]。 目撃者の証言と合わせれば、「軍事作戦」という説明は筋が通らない。
国連のスーダン調査委員会も過去の類似事案を「戦争犯罪の疑い」と認定した。 しかし制裁を超えた法的措置は、今も取れていない。
食糧も医療も入らない地
北コルドファン州への人道支援は、ほぼ途絶えている。 WFPは今年8月、州の3分の2以上の地域が支援アクセス不能だと報告した[4]。
「物資を届けたくても、通れない道がある」とWFPのスーダン担当者は述べた。 許可申請をRSFに出しても、却下され続けているという。
ウムバドル地区では医薬品の供給が途絶えて1年近くが経つとされる。 地元の医師が手術をする場合も、基本的な薬品さえ不足している。
スーダン全土で飢餓に直面している人は2,500万人以上と推計されている。 これは日本の人口のほぼ5分の1に当たる数だ。
北コルドファン州の農業は戦前の3割以下の生産量に落ち込んだとされる。 耕せない農地が増え、収穫する人手も失われた。
子どもの栄養不良の割合も深刻で、5歳未満の子の4割以上が中程度以上の栄養不良とされる報告もある。 成長や発達への影響は、戦争が終わった後も続く。
「スーダン医師団」という窓口
スーダン医師団(SDS)は2019年のスーダン革命時に注目を集めた組織だ。 全国各地の医師や医療スタッフがオンラインで連携し、情報を集約している。
内戦が始まると、SDSは戦争の実態を外に伝える数少ない情報源になった。 現地に入れない国際機関が、この組織の報告を起点に動くことも多い。
ただし、その活動には限界もある。 現場への直接アクセスが難しい場合、証言ベースの情報に頼らざるを得ない。
今回のウムバドルの事件も、SDSが独自に証言を集めて公表した。 報道機関がSDSを引用する形で世界に広がった構図は、この戦争でくり返されてきたものだ。
「私たちが発信しなければ、誰も知らない」と、SDSのメンバーはAFPに語ったことがある。 その言葉は今回の事件でも変わらない。
まとめ
10月3日のウムバドルで起きたことは、スーダン内戦3年半の縮図だ。 RSFは動き、住民は殺され、報道は届かない。
医師団が告発し、通信社が報じ、世界は少しだけ動く。 そしてまた次の事件が起きる。
ダガロの名前を知っている人は、日本にどれだけいるだろうか。






