チューリング賞受賞者のヤン・ルカン(Yann LeCun)が設立したAMI Labs(Advanced Machine Intelligence Labs)が、10.3億ドル(約1,500億円)のシード資金調達を完了した。評価額は35億ドル。欧州のスタートアップとしては史上最大のシードラウンドとなる。
Metaを離れた理由と「ワールドモデル」への賭け
2025年11月、ルカンはマーク・ザッカーバーグのオフィスに入り、退社を告げた。設立からわずか4カ月でのこの調達は、AI業界に衝撃を与えている。
AMI Labsが取り組むのは「ワールドモデル」と呼ばれるアプローチだ。現在主流のLLM(大規模言語モデル)がテキストから学習するのに対し、ワールドモデルは現実世界の物理法則や因果関係を理解するAIを目指す。技術基盤となるのは、ルカンが2022年に提唱した「JEPA」(Joint Embedding Predictive Architecture)というフレームワークで、環境がどう振る舞うかを予測・理解するシステムの構築を狙う。
CEOのアレクサンドル・ルブランは「6カ月後には、すべての企業が資金調達のために自社をワールドモデル企業と呼ぶようになるだろう」と語っており、このアプローチがAI業界の次のバズワードになるとの見方を示している。
ワールドモデル vs LLM——AI開発の根本的な分岐点
ルカンの挑戦を理解するには、現在のAI開発における根本的な対立軸を把握する必要がある。
現在主流のLLM(GPT、Claude、Geminiなど)は、大量のテキストデータから言語のパターンを学習する。膨大な量の文章を読むことで、文脈に応じた適切な応答を生成できるようになった。しかし、ルカンはこのアプローチに本質的な限界があると主張している。
LLMは「世界を理解している」のではなく、「世界についてのテキストを統計的に処理している」に過ぎない。たとえば、LLMに「コップを逆さまにして水を入れたらどうなるか」と聞けば正しく答えるだろう。しかしそれは物理法則を理解しているからではなく、学習データに同様の記述があったからだ。未知の物理的状況に対する推論では、LLMは頻繁に誤りを犯す。
ワールドモデルは、このギャップを埋めることを目指す。動画、センサーデータ、物理シミュレーションなどの多様なデータから、現実世界の因果関係や物理法則そのものを学習する。成功すれば、テキストには書かれていない状況でも正確な予測が可能になる。
これはロボティクスや自動運転の分野で特に重要だ。自動運転車が未知の交差点で安全に判断を下すには、テキストベースの知識ではなく、物理世界の因果モデルが不可欠だからだ。
10億ドルシードの衝撃——VCの賭け
史上最大のシードラウンドが成立した背景には、VC業界の構造的なシフトがある。2024年以降、LLMベースのスタートアップへの投資は飽和状態に近づいている。OpenAI、Anthropic、Google、Metaが市場を支配するなか、「次のLLM企業」に投資する余地は限られている。
投資家が10億ドルをAMI Labsに賭けたのは、「LLMの次」を見据えた戦略的判断だ。ルカンのチューリング賞受賞歴とMeta AIでの研究実績は、ワールドモデルという未知の領域への投資リスクを許容させる信頼の担保になっている。
ただし、ワールドモデルが商業的な成果を出すまでの道のりは長い。LLMが2022年のChatGPTで一気に商用化されたのとは異なり、ワールドモデルの応用先(ロボティクス、自動運転、産業シミュレーション)はいずれも製品化までに数年単位の開発期間を要する。投資家にとっては、リターンの回収までに5年以上の忍耐が必要な賭けだ。
投資家と今後の展望
ラウンドはCathay Innovation、Greycroft、Hiro Capital、HV Capital、Bezos Expeditionsが共同リード。個人投資家としてティム・バーナーズ=リー、ジム・ブレイヤー、マーク・キューバン、エリック・シュミットらが参加した。
ルカンは仏米二重国籍を持ち、AMIはパリを拠点とする。ロボティクスや産業用途への応用が想定されており、LLMベースのアプローチとは根本的に異なる道を歩む。AMI Labsの動きは、AI研究の多様性を守るという意味でも重要だ。2024年以降、AI研究資金の大部分がLLMベースのプロジェクトに集中しており、異なるアプローチへの投資は先細りしていた。10億ドルという資金がワールドモデルに投じられたことで、AI研究のポートフォリオが分散化される効果がある。
ChatGPTやClaudeが言語処理で成果を上げる一方、現実世界のナビゲーションにはまだ大きな課題が残る。また、AMI Labsの「パリ拠点」という選択も戦略的だ。EUのAI Actは厳格な規制を課す一方で、研究目的のAI開発には例外を設けている。ルカンの仏米二重国籍と、フランス政府の積極的なAI研究支援策(France 2030計画、年間約25億ユーロのAI投資)を組み合わせることで、資金面でも人材面でも米国一極集中ではない研究環境を構築できる。
さらに、Metaとの関係性も注目に値する。ルカンはMetaのチーフAIサイエンティストの職を辞して起業したが、Metaの基礎研究部門であるFAIR(Fundamental AI Research)との人脈と知見は引き続き活用できる立場にある。Metaが公開しているLLaMAモデルの成果とは異なるアプローチを追求しつつも、研究コミュニティとの協力関係は維持される見通しだ。
AMI Labsの成否が、AI開発の方向性そのものを左右する可能性がある。
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