藤井健一は、三十六歳の誕生日を、いつものカフェで迎えた。
下北沢の、古びた喫茶店。木のカウンターにMacを置き、アイスコーヒーを注文し、Notionを開く。健一の日課だ。いや、日課と呼ぶには、もう五年以上続いている。
Notionのワークスペース名は「Project K」。フォルダ構成は完璧だ。「アイデアリスト」「市場調査」「競合分析」「技術スタック候補」「UI/UXスケッチ」「ビジネスモデル」「資金調達メモ」「メンター候補リスト」——全部で十七のフォルダ。総ページ数は四百を超えている。
健一は、五年間アイデアを温めている。何のプロダクトを作るか。
答えは、まだ出ていない。
健一の経歴を説明するのは簡単だ。
東京大学工学部卒。新卒でコンサルティングファームに入社。三年で辞めた。その後、スタートアップに転職。二年で辞めた。次に外資系テック企業に入った。一年半で辞めた。現在はフリーランスのコンサルタントとして、週に三日だけ働いている。残りの四日は「自分のプロダクトを作るための準備」に充てている。
準備。五年間の準備。
健一は頭が良かった。コンサルにいた頃から、周囲にそう言われてきた。論理的で、分析力があり、市場を読む目がある。スタートアップにいた頃は、CEOから「お前が自分で起業した方がいい」と言われた。外資にいた頃は、上司から「君のポテンシャルは、ここでは発揮しきれない」と言われた。
全員が、健一に「作れ」と言った。そして健一は、「いま準備している」と答え続けた。五年間。
カフェでNotionを開く。今日のタスクは「SaaS市場のトレンド分析」。
健一はブラウザでいくつかのレポートを読み、データをNotionにコピーし、分析メモを書いた。二時間かけて、三千字。AIスタートアップの資金調達動向、BtoB SaaSの解約率トレンド、GPT-5以降のLLM市場予測——。
分析は精緻だった。どのVCがどの領域に投資しているか、どの市場にホワイトスペースがあるか、どの技術スタックが今後有望か。健一はそのすべてを把握していた。専門家に近いレベルで。
ただ、それは「分析」であって「行動」ではなかった。
健一には、分析と行動の間に、深い溝があった。そしてその溝を、健一は「慎重さ」と呼んでいた。
月に一度、健一は大学時代の友人、野口と飲む。野口は三十四歳のとき会社を辞めて起業し、今はtoC向けのフィットネスアプリを運営している。ユーザー数は三万人。黒字化はしていない。でも、生きている。
「健一、最近どう?」
「うん、いろいろ調べてる。AIエージェントの領域が面白いんだけど、まだ市場が成熟してなくて——」
「五年前は、ノーコードが面白いって言ってなかった?」
「あれはレッドオーシャンになったからやめた」
「その前は、Web3?」
「バブルが弾けたからね」
「その前は、EdTech?」
健一は黙った。野口の目が笑っていなかった。
「健一さ、いつまで分析してんの?」
「分析は大事だよ。間違った方向に走るよりマシだ」
「走ってないやつが、方向の正しさを語るなよ」
健一は何も答えなかった。ビールを飲んだ。苦かった。
健一のNotionには、アイデアが三十七個ある。
どれも「悪くない」アイデアだ。市場がある。ニーズがある。技術的に実現可能。どれか一つを選んで実行すれば、何かが始まる。
でも健一は、「最高のアイデア」を待っている。
これだ、と確信できるもの。市場、技術、タイミング、自分の強み——すべてが完璧に噛み合う一手。それが見つかるまでは、動くべきではない。動いたら、その時間とリソースを「最高のアイデア」に使えなくなる。
健一はそう信じている。論理的に正しいと思っている。
ただ——一つだけ、健一が目を逸らしていることがある。
五年間、一度も「最高のアイデア」は来なかった。そしてこれからも、たぶん来ない。
「最高のアイデア」は、分析の中からは生まれない。実行の中から、失敗の中から、泥臭い試行錯誤の中から生まれる。健一はそれを知識としては知っている。リーンスタートアップも、デザインシンキングも、アジャイル開発も、全部読んだ。全部理解した。
理解と実行の間には、Notionのフォルダ十七個ぶんの距離がある。
土曜日の午後。カフェの窓際の席で、健一はXを眺めている。
タイムラインに、かつての同僚の投稿が流れてきた。コンサル時代の後輩。三年前に辞めて、一人でSaaSを作った。最初はユーザーが五人しかいなかった。今は三百社が導入している。月商は二百万。
「最初の一年は死ぬかと思ったけど、作ってよかった」——そういう投稿だった。
健一はその投稿に「いいね」を押した。それから、Notionを開いた。「競合分析」フォルダに、その後輩のプロダクトの情報を追加した。市場規模。機能一覧。料金体系。差別化ポイント。
分析は完璧だった。なぜそのプロダクトが成功したのか、健一には手に取るようにわかった。
わかることと、やることは、別の動詞だ。
夜。健一は自宅のデスクに座っている。MacBookの画面にはNotionが開いている。五年分のメモ。四百ページ。三十七のアイデア。十七のフォルダ。
健一は、ふと思った。
——俺は、何を作ったのだろう。
五年間で作ったのは、Notionのページだけだ。完璧に整理された、誰にも見せたことのない、四百ページのドキュメント。それが、健一の「準備」のすべてだった。
明日もカフェに行くだろう。Notionを開くだろう。市場を分析するだろう。新しいトレンドを見つけるだろう。そしてまた、「もう少し調べてから」と思うだろう。
健一は知っている。自分が「慎重」なのではなく、「怖い」のだと。作ったものが失敗することが怖いのではない。作ったものが「たいしたことない」とわかることが怖いのだ。自分の五年間の準備が、実は何の意味もなかったと証明されることが。
Notionの中にいる限り、健一は天才でいられる。可能性の塊でいられる。「やればできる人」でいられる。
健一は画面を閉じた。
そして、また明日開くだろう。
三十七歳の誕生日も、きっと同じカフェで迎える。
Notionのページ数は、たぶん五百を超えているだろう。フォルダは二十になっているかもしれない。アイデアは四十を超えるかもしれない。
そして健一は、まだ何も作っていないだろう。
——あるいは。
あるいは、明日の朝、健一はNotionを閉じて、ターミナルを開くかもしれない。npx create-next-app と打つかもしれない。最高のアイデアではなく、三十七番目のアイデア——たぶん一番地味なやつを選んで、書き始めるかもしれない。
でもそれは、この物語の外の話だ。
——「接続する人たち」完——
著者紹介:桐原 夏生(きりはら なつき)
1996年生まれ、神奈川県横須賀市出身。明治大学文学部卒。元Webメディア編集者、現フリーランスライター。
IT・スタートアップ業界で働く20〜30代の「内面の空洞」を描く。
2023年、文芸誌『群像』新人賞最終選考。本連載でデビュー。