「Digital Omnibus改正」が変えたもの
2026年5月7日、EU理事会・欧州議会・欧州委員会の三者が「Digital Omnibus」改正案に暫定合意した。 これはAI法施行以来初の本格的な修正案であり、いくつかの重要な変更が加わった。
期限延長の対象として、当初2026年8月2日が締め切りとされていた高リスクAI分類の一部について、コンプライアンス期限が延長された。 特に中小企業(SME)と研究機関については、準備期間の追加猶予が認められた。
一方で、ディープフェイク動画を使った無差別な「情緒的操作」と「偽情報の大規模拡散」を目的とするAIシステムの利用禁止が明文化された。 既存の「許容できないリスク」禁止リストに追加された形だ。
また、6月中に公表が予定されている「AI生成コンテンツの透明性コード・オブ・プラクティス」は、動画・音声・画像・テキストのAI生成物に対して、利用者に明示するための標準的な表示方法を規定する自主枠組みだ。 Article 50の透明性義務を実装する際の事実上の基準となる。
「高リスクAI」に該当する分野とは
8月2日以降に最も影響を受けるのは、AI法が「高リスク」と分類する分野に関与する企業だ。
具体的には採用・人事評価(履歴書スクリーニング、面接AI)、信用スコアリング(ローン審査AI)、教育評価(入学判定AIなど)、重要インフラ管理(電力・水道・交通)、医療診断・治療補助、司法手続き支援などが該当する。
これらの分野でAIを「開発・提供・利用」する企業は、適合性評価(Conformity Assessment)の実施、リスク管理文書の整備、データガバナンスの証明、人間による監督(Human Oversight)メカニズムの実装を義務付けられる。 罰則は最大3,500万ユーロ(約57億円)または全世界売上高の7%のいずれか高い方だ。
OpenAI、Anthropic、Googleへの影響
GPAI(General Purpose AI、汎用AI)提供者への規制は2025年8月から既に適用されている。
OpenAI、Anthropic、Googleなどのフロンティアモデル提供者は「システミックリスクを持つGPAI」として、より厳格な義務(安全評価、サイバーセキュリティ対策、インシデント報告、モデルカードの公開など)が課される。 8月2日の施行では、GPAIが高リスクAIシステムに組み込まれる場合の責任分担(提供者vsデプロイヤー)の整理が一層重要になる。
AnthropicのClaude Mythosが重要インフラのセキュリティに展開される文脈では、EU規制が「高リスクAIの最前線への適用」としてどう解釈されるかが、欧州展開コストに直接影響する。
日本企業がいま準備すべきこと
EU AI法は域外適用される。
日本企業でも、EU市場でAIシステムを提供・販売する場合や、EU市場向けのAI製品・サービスを開発する場合は適用対象となる。 自動車OEM、金融機関、製造業向けソフトウェア企業などは特に注意が必要だ。
法務部門が今すぐ着手すべきことは3点ある。 第一に、自社のAIシステムが「高リスク」カテゴリに該当するか否かの分類作業だ。EU委員会が公開したガイダンス資料と自社製品・サービスを照合する必要がある。 第二に、適合性評価プロセスの設計だ。外部認証機関(Notified Body)が関与するケースと自己評価で足りるケースを区別し、必要なドキュメント体制を整える。 第三に、透明性コード・オブ・プラクティスへの対応だ。AI生成コンテンツを扱うマーケティング部門、コンテンツ制作部門はラベリング義務の実装を急ぐ必要がある。
AIモデル価格競争とコンプライアンスコストのせめぎ合い
AIモデルの価格戦争が進む一方で、EU規制対応にかかるコンプライアンス費用は増加する一方だ。
EU AI法への対応コストは、中規模企業でも年間数億円規模になる可能性があり、スタートアップには重荷だ。 しかしGDPR施行後に「Privacy by Design」を競争優位にした企業が現れたように、AI法施行後には「Trustworthy AI」を武器にした新しい市場が生まれる可能性もある。
規制をいち早く乗り越えた企業には「信頼できるAIプロバイダー」としてのブランド価値が生まれる。 EU市場の消費者・企業が8月2日以降どんな「AI体験」を求めるか——それを先読みした企業だけが次の10年の信頼経済を制するだろう。
ソース:
- EU AI Act Update: Timeline Relief, Targeted Simplification, and New Prohibitions — Global Policy Watch(2026年6月)
- What the EU's New AI Code of Practice Means for Labeling Deepfakes — TechPolicy.Press
- EU AI Act News 2026: Compliance Requirements & Deadlines — Axis Intelligence
- Enforcement of the AI Act — European Parliament Think Tank(2026年3月)