ジオシティーズが守り、noteが継いだもの──「あのサービスは、いま」第2回
2019年3月31日。
その日、日本のインターネットから「Yahoo!ジオシティーズ」というホスティングサービスが消えた。告知ページには、サービス終了に至った背景と、閉鎖に伴ってユーザーに取ってほしいアクションが淡々と並んでいた。読み返すと、今でも少しだけ背筋が伸びる種類の文章だ。
1997年に米Yahoo!が立ち上げ、1999年にYahoo! JAPANが日本版を開始。22年間にわたって、日本の「個人サイト文化」を下支えしてきたインフラだ。その終わりには、いくつもの個人の日記、同人サイト、学術ページ、趣味の資料集が道連れになった。
あの日を境に、日本のパーソナルウェブが死んだ、という書き方を目にすることがある。
半分は、たぶん正しい。けれど、もう半分は、たぶん違う。
連載「あのサービスは、いま」の第2回は、ジオシティーズが守っていたものが、どこにどう引き継がれていったのかを辿りたい。結論から書けば、「書く場所」としての個人サイトは、noteやZennといった現代的なプラットフォームに、驚くほど素直な仕方で形を変えて生きている。
個人サイトという「居場所」の設計
まずジオシティーズとは何だったかを整理する。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開始 | 米: 1994年(当時は別名称) / 日: 1999年 |
| 終了 | 米版: 2009年 / 日本版: 2019年3月31日 |
| 提供内容 | 個人向け無料ホスティング(HTML/画像等のアップロード) |
| URL体系 | geocities.jp/[ユーザー名]/ など |
| 特徴的なUI | 「街」「地区」のメタファー(Tokyoなど都市名で整理) |
| 運営体制 | Yahoo! JAPAN傘下 |
一番のポイントは、誰でも、無料で、自分の区画を持てたことだ。
HTMLを少し書ければ、自分の日記も、好きな作品の感想も、研究のメモも、そこに置けた。サーバーを借りる知識もクレジットカードもいらなかった。「ネットに何かを書き残したい」という衝動と、具体的に「公開する場所」のあいだに、ほとんど摩擦がなかった。
この低い摩擦こそが、2000年代前半の日本のウェブ文化を形づくった最大の要因だと、今でも思う。
当時のジオシティーズは、一面では牧歌的なサービスだった。GIFアニメーションが踊るトップページ、点滅するテキスト、「工事中」と書かれたページ、BBSと日記帳。現在の目で見ると、粗いし、遅いし、デザインも大抵は野暮ったい。
けれど、あの場所で書かれていたのは、紛れもなく「一次情報」だった。
終了が意味したのは、データの消失だけではない
2019年3月のサービス終了時、Yahoo! JAPANは事前告知とアーカイブ支援に相当な配慮を払った。国立国会図書館のWARPチームや、非公式のアーカイブ活動者たちも、可能な限り多くのページを残そうとしていた。
それでも、多くのデータが失われた。
ここまでは既によく知られている話だ。
ただ、本稿で書きたいのは、データの消失そのものではない。もう少し掘り下げた、別の喪失の話だ。
個人サイトという言葉には、いま思うと、2つの設計思想が同居していた。
| 設計思想 | 内容 |
|---|---|
| 公開の場の民主化 | 誰でも、無料で、自分の区画を持てる |
| 匿名性の担保 | ハンドルネームで、プロフィールを開示せずに書ける |
ジオシティーズが終わって失われたのは、データだけではなく、この2つの設計思想が同時に成り立つ「場」のほうだった。
Facebookが実名を求め、Twitterが短文とリアルタイム性を求め、InstagramやTikTokが画像と動画の即応性を求めるなか、「匿名のハンドルで、じっくり長文を書き、自分の区画として運用する」という在り方は、だんだんと居場所を失っていった。
ここで一度、定義を修正したい。
「ジオシティーズの終わり=個人サイト文化の終焉」は、正確ではない。より正確には、「匿名で、長文を、じっくり書ける、自分の区画」という特殊な組み合わせのうち、ホスティングという側面が市場から撤退した出来事だった。
言い換えると、「書く」という営みそのものは、少しも終わっていない。終わったのは、特定の料金モデルと、特定のURL体系と、特定のUIだけだ。
note・Zenn・はてなブログへの「書き手」の移動
では、あの個人サイトに書き残されていた長文は、どこへ引っ越したのか。
粗くまとめれば、こうなる。
| 旧来の個人サイトの用途 | 現代のプラットフォーム |
|---|---|
| 日記・エッセイ | note / はてなブログ |
| 技術Tips・プログラミングメモ | Zenn / Qiita |
| 同人・ファン活動 | pixivFANBOX / 個人Wiki / BOOTH |
| 研究ノート・学術資料 | note / Scrapbox |
| ポートフォリオ | Notion / GitHub Pages |
ジオシティーズが1つで受け止めていた役割は、現在、用途ごとにプラットフォームが分業している。
特にnoteは、2014年のサービス開始以降、個人サイト的な書き手の受け皿として機能してきた。はてなダイアリーの文化を継いだはてなブログも、2026年に至るまで多くの書き手に使われ続けている。エンジニア向けのZennは、個人の技術ノートをパッケージ化して読ませる仕組みとして、旧来の「技術系個人サイト」文化を滑らかに引き継いだ。
興味深いのは、これらのサービスが、意識的にかどうかはさておき、ジオシティーズが持っていた設計要素をいくつも踏襲している点だ。
- サブドメインや独自URLで、自分の区画感を演出する
- 記事単位ではなく、書き手の顔が前に出るタイムライン設計
- 実名でなくても、ハンドルネームで運用できる
- 広告を最小限に抑え、本文の可読性を守る
メタファーも面白い。ジオシティーズは「街」だった。noteは「クリエイターの街」を標榜している。Zennは「本」と「記事」を並べる。どれも、書き手に「場所」の感覚を返してくれるデザインだ。
技術的な系譜──静的HTMLからマネージドCMSへ
書き手の移動と、技術スタックの変化は、ほぼ重なっている。
| 時代 | 典型的な構成 | 書き手に必要な知識 |
|---|---|---|
| 1999〜2009 | HTML手書き / FTPアップロード | HTML、ディレクトリ管理、FTP |
| 2005〜2015 | レンタルブログ / 独自ドメイン | 最低限の管理画面操作 |
| 2015〜現在 | マネージドCMS / Markdown | Markdown、エディタ操作 |
この変化で、書く行為の「手触り」は大きく変わった。
HTMLを直接書いていた時代、コンテンツとレイアウトは1つのファイルに同居していた。見栄えを工夫したければ、そのまま自分で書くしかなかった。Markdownの時代になって、コンテンツと見た目は分離された。書き手は本文だけに集中できるようになり、代わりに「自分だけの見た目」を細かく作り込む余地は減った。
ここでもう一段、定義を修正する。
個人サイト文化の本質は「HTMLを直接書けること」ではなかった。より正確には、「書きたいことに対して、その書きたさにちょうどよい公開の場を、自分の手でつくれること」だったのではないか。
だとすれば、書きたさに対して出力可能な場の候補が増えた現在は、むしろ個人サイト文化の「拡張版」として捉えるほうが実態に近い。書き手は減っていない。散らばっただけだ。
デジタルアーカイブという、もう一つの継承
もうひとつ、触れておきたい系譜がある。
国立国会図書館のWARPプロジェクトは、2002年から日本のWebサイトの保存に取り組んでいる。ジオシティーズ閉鎖に際しては、著者から同意を得たページを中心にアーカイブ対象を広げた。
非公式には、有志による「ジオシティーズの保存を試みる会」などが、閉鎖前の駆け込みクロールに協力した。Internet Archive(米国)のWayback Machineも、多くの日本のジオシティーズページを保存している。
これらの活動が教えてくれるのは、インターネットの記憶は「サービス提供者の気まぐれ」で消えてもいい、とは思っていない人が、少なくない数いるという事実だ。
ジオシティーズの終わりが、この「ウェブを残す」という思想を可視化した意義は大きい。現在のnoteやZennが、将来どのような形で終わる日が来たとしても(いずれ必ず来る)、当時より少しだけ、私たちはアーカイブの作法を知っているはずだ。
次の問い──あなたが書くこの記事は、どこに残るか
整理する。
- ジオシティーズは、データという意味では確かに失われた
- 書き手は、各プラットフォームに分散して移動した
- 現代のCMSは、ジオシティーズが持っていた「場の感覚」を、別のかたちで再現している
- アーカイブ文化は、サービスの終わりに抗う仕組みとして成熟しつつある
ここまで書いて、正直に白状すると、この記事を書いている私の手元にも、かつてジオシティーズ上に置いていたメモが残っている。HTMLで手書きした拙い日記だ。読み返すと顔から火が出る。
それでも、あのページがあったから、今こうして書いている自分がある、とは思う。
最後に、読んでくれているあなたに問い返したい。
今日あなたがどこかに書いたテキストは、どのサービスの上に置かれているだろうか。そのサービスは、10年後もまだ存在しているだろうか。もし終わるとしたら、あなたの書いたものはどこに残せるだろうか。
答えを急ぐ必要はない。ジオシティーズのユーザーだった頃の私たちも、誰一人そんなことは考えていなかった。
第3回は、2009年に世界を驚かせた日本発のARサービス「セカイカメラ」を取り上げる。Apple Vision ProやMeta Questが普及した2026年の視点から、「早すぎた」とされる技術の意味をもう一度問い直したい。